SAR-DOG CWC 

勇気と知恵と協力と
(With courage and wisdom and cooperation)

あの日を覚えていますか?
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災を覚えていますか?
神戸を襲った未曾有の大地震は、私たちの心に強く残っています。就学前から神戸で育った私はいつも母から「神戸は台風も地震も無い良い所なのよ」といつも聞かされていました。
今でも覚えているのは、1月10日の午前5時30分に愛犬ナンド号が遠吠えを始めたのです。訓練所と言ってもご近所にはお家があるのですぐさま犬舎に向かい「ナンちゃん、吠えたらあかん!」等と言ってました。あの朝も同じようにナンドと銀次郎が遠吠えをしました。
「もう!ナンドは!」と言いながら着替えをすまし犬舎に行こうとした時です。
突き上げるような衝撃とグラグラと大きく横揺れが始まりました。それはいつもの地震とは違いなかなか収まりませんでした。「うわ〜。今日はめっちゃ揺れとう!」とベッドの端を持ちながら叫んでいました。何とか揺れが収まりやれやれこんなに揺れたのだから震源地は奈良だねとか勝手な事を言いながら犬舎の掃除を始めました。当時犬舎に入ると同時にラジオを付けて時間を計りながら作業をしていたのです。するとラジオからは信じられない報道がされています。「震源地は神戸市垂水区」と報道されているではありませんか!
私の家は?母は?姉は?姪たちは?
電話をしても通じません。無情に電話案内だけが流れてくるのを聞き本当に神戸に大地震が起こったのだと実感しました。
それからはテレビに釘付けです。
神戸の町が燃えている。
その日の夕方何とか連絡の取れた姉は私にこう言った。
「あんた、神戸に来たらあかんで。まだ地震きようねん。危ないから来たらあかん」
テレビで見る絶望的な神戸の映像は、信じられないとしか言いようの無いものでした。
高速道路が落ち、ビルが倒れ、市場が火の海になり焼き尽くされている神戸の姿はもはや、私たちの知らない神戸でした。
神戸が燃えて行く。
私たちの青春を過ごした町が業火にのまれて行く。あの時は私はただ呆然とテレビの画面を見つめているだけでした。


災害救助犬という使役犬がいる

テレビの速報をみているとスイスから災害救助犬という仕事をする犬が関空まで来ているのに検疫の問題で現場に行けないというものだった。災害救助犬?大災害等が発生した時に建物や家屋に閉じ込められた人を臭気でいち早く発見して捜索隊に知らせるという仕事。
この大災害時に同じ訓練士として何も出来ない自分が情けなくまた、地震国と言われている日本に災害救助犬が少ないという事を知り「災害救助犬」の訓練をしようと思いました。
1995年秋に、訓練士で救助犬チームを立ち上げ国内で災害救助犬の第一人者であられた富山県の坂井訓練士を尋ねました。同氏には親切丁寧にご指導頂き大変ありがたかったです。
また、スイス救助犬協会に行き、いろいろと見学研修させて頂きました。
自分で思うように犬を作り上げるには随分と時間がかかりましたが何とか自分の思う感じの救助犬が訓練できるようになったと思っています。2014年にチームを再編成してからは、奈良県橿原市、五條市、奈良県警察警備Ⅱ課とも協定を締結して頂きチーム一丸となって安全で有能な救助犬育成のため訓練に励んでおります。

写真について
瓦礫現場で捜索訓練をしているクラウス(左)
高市消防署のみなさんと夜間山岳訓練に向かうCWC(右)